(注意:ストーリー展開についても触れていますので、
何も知らない無邪気な子供のままでいたいという方は読まないほうが無難です)(また、イベントの順番や内容に多少ウソが混ざっていますが、
情報保護のためですので悪しからず)
タイトルを見て、「自分でFF批判禁止とか言っていたくせにどういうことだ」などとお思いの諸君。考えた末、あの前言は撤回することにした。なぜなら、実際にプレイしてみてファイナルファンタジー8はバカゲーであるという結論に達したからである。
バカゲーならば、ここで取り上げようが何の不都合もない。
それに私はFF狂信者でもなければ、最初から悪意を持ってしかスクウェア作品を見ていない狭量なマニアでもないし、商業誌のように大作メーカーに気を使う必要もない。
また、セルフィ萌えでもゼル×スコール派でもないので(リノア萌えやサイファー×スコールでないところがややリアル)、ここからの文章は日本で今もっとも的確なFF8のレビューだという自信がある。
では、いったいどこらへんが「バカ」なのか?それを語る前に、まずFFの歴史をひもといてみることにしよう。
【“3”のサイクルで見るFFの歴史】
RPG派の私にとって、FFは特に思い入れのあるシリーズである。このソフトがなければ、今ほどゲームにハマっていたかどうかわからない。これまでFFシリーズは、俗に「奇数作がシステム重視、偶数作がストーリー重視」などと言われてきたが、私はこれに異を唱えている。どう見てもあのシリーズは“3”というサイクルで動いているからだ。
つまり、《新境地を開拓する意欲作》 → 《実験的システムを盛り込んだ異色作》 → 《前2作から良い部分だけを抽出した普遍的名作》という流れである。
実際に、一つずつ見ていってみよう。
FF1: ポストDQの旗手として登場。粗削りな部分も多いが、サイドビューの戦闘やクラスの概念、独特のストーリー・エンディングなど、光るものを持っていた。
FF2: 経験値をなくし、行動に応じてHPやパラメータがアップするという斬新なシステムを採用。
しかしそれは、仲間同士で殴り合うのがいちばん効率が良いという斬新なバグも生み出してしまった。新会話システムにしてもあまり好評は得られなかったが、チョコボをはじめとする多彩な乗り物や、死ぬサブキャラなど、やはりFFを語る上では外せない作品。これが好きだというマニアもいる。
FF3: ジョブチェンジによるキャラクターカスタム、出会いと別れを繰り返しつつ強大な敵にレジスタンスするという基本ストーリーなど、1・2の長所だけを合わせたファミコン最後のFF。“名作”から“大作”となった作品でもある。
FF4: ハードをスーファミに変え、アクティブタイムバトル(ATB)というシステムを導入。
キャラクターの職業を固定したため、育てる楽しみは減ったが個性を出すことには成功、多くの新規ユーザーの獲得に成功した。その一方で「ストーリーが勝手に進みすぎる」「一本道」という声もあり、「脇役が死ぬ」という法則がピークを迎える。
FF5: 実験的システムとして登場したアビリティシステムが、予想をはるかに超えて素晴らしい出来だったため、以降ATBと並んでFFの根底を貫くシステムとなる。ストーリー的にはそろそろ飽きられる。
(アビリティを工夫すると低レベルでもボスに勝つことができたりと、マニアの間では人気が高い。私もバッツがLV19、残りの三人が初期状態という貧弱パーティーでオメガを倒してクリアし、ファミ通に採用されたことがある)
FF6: シナリオをはじめ、開発組織の構図を一新(したらしい)。アビリティシステムの変形である「魔石」、そして4以上に個性的なキャラクターたちで人気を呼んだ。2Dのグラフィック表現ではこれが限界とまで言われる。
クリスタルが消え、機械文明色が濃くなりはじめる。
FF7: PSにプラットホームを変え、3Dポリゴンを導入。さらにキャラデザインを野村氏に。もちろん、古くからのユーザーからは一部反発を買ったが、PSのライトユーザー層の獲得に成功。何だかんだで売れる。
FF8: ポリゴンの流れをさらに強化。異色のシステム「ドロー&ジャンクション」を導入し、思いっきり賛否両論。
バトル担当の伊藤裕之氏が自ら、『FFって実験的なことが許されるソフトじゃないですか。だから思い切って実験しちゃえ! と考えたわけです。何百万人の人に実験してもらおうと思いました』と発言している。
実際に、総合的に万人から高い評価を得ているのが3と6であることなどから見ても、この説は間違いないところ。開発スタッフがどこまで意識してやっているのかはわからないが、流れからすれば今回の8は実験的で当然なのである。だから今回だけを見て「FFはもうダメだ」などと考えるのは早計だろう。
だが、しかし・・・。
【バカシステム、ドロー&ジャンクション】
FF8の核であり、さまざまな問題の元凶ともいえるのがこのシステム。今回、魔法は売ってもいないし、自動的に覚えるわけでもない。MPというパラメータもない。
ドローというコマンドにより、敵から一つずつゲットしていくのである。また、使用すると魔法は一つずつ減っていく。ポーションなどのアイテムと同じ感覚だ。
さらに、ドローした魔法を、HPや魔力といったパラメータに“ジャンクション”して能力をアップさせたり、攻撃や防御に属性(炎、冷気など)を付けたりすることもできる。
ただそのかわり、今回は「防具」の概念が綺麗サッパリ削り取られているのだが。
突き詰めて考えてみればこのシステム、今まで防具やアクセサリー、あるいは魔石やマテリアといったアイテムで処理していたものを、魔法やガーディアンフォース(G.F.)という抽象的なものに置き換えただけ。
魔法を使用すると減っていくという点だけが防具と異なるが、魔法は弱いので使う機会がほとんどない。 けっきょく、最大値の100個までドローして、あとは装備しっぱなしということになりがちだ。
しかも説明不足なので、チュートリアルの文章を何度読み返しても、その原理が見えてこない。モンスターから魔法が抽出できるってどういうこと? 意識下に常駐しているG.F.を召喚すると、ダメージを引き受けてくれるのは何故? どういう理屈?
従来のシステムをわかりにくくしただけのものを、画期的なシステムと称するのはどうだろうか。小澤夢生でも引き抜いてきたのかと思ったぞ。
とにかく、あまりにもアイデア先行という印象がぬぐえないのが、このドロー&ジャンクション。
「いろんな魔法を敵から集めて装備できたら面白いね」という思いつきだけが全てであり、説得力とか必然性とかゲーム性とかを考えて作ったとはとても思えない。そして何より、敵に一方的にタコ殴りにされつつ、せっせと魔法をかすめ取る姿は、ハタから見ているととてもバカである。感覚としては、味方同士で殴りあって強くなるFF2のプレイに近い。
なんでも前述したバトルデザインの伊藤氏は、6を担当したあと7のチームからは外れ、今回の8でまたFFチームに戻ってきたらしい。
そんな事情で、マテリアシステムをそのまま発展させることには抵抗があったのだろうが、6の魔石システムの欠陥を引きずってきてしまったように思う。
それに、キャラクター間で魔法の受渡しができるぐらいだから、モンスターから魔法を集めてきて他人に売る「魔法屋」という職業があっても何の不思議もないと思うんだけど。
G.F.のHPを回復するポーションが街のペットショップで売られてるぐらいだしな。
ただ、「究極のキャラクターカスタマイズ」というだけのことはあり、魔法の種類が揃ってくると、かなり自由にパラメータを調整することができる。攻撃力やら防御属性やら追加ステータスやらアビリティやら、何から何までプレイヤーが自由に特徴を出せるのである。裏を返せばもともとのキャラクターがシステム的には無個性だということで、キャラクターが6人もいる意味がないという声もあるが。(本当は6人じゃない気もするけどナイショ)
もう一つの斬新な改革が、お金。 今回は不況のためかモンスターはお金を持っておらず、主人公は傭兵SeeDとして定期的に給料を受け取ることになる。この給料はSeeDランクによって金額が決まり、一定距離を歩くと支払われるのだが、刑務所に収容されていようが、極秘任務で敵地に潜入していようが、どこからともなく現金で支払われる謎のシステムだ(刑務所内でクレジットカードの類が使えるとは思えんし)。
さらに、無限にお金を溜めることができないように、任務中にあまり歩き回りすぎるとランクが下がることになっているので、街の住民に話を聞いて回ったりしてはいけないという、斬新なRPGになっている。
あと、システムといえばもう一つ。リノアの愛犬アンジェロに技をおぼえさせると、戦闘中にアイテムを拾ってくるようになる。
『里見の謎』のパクリですか?
ちなみにパーティー内の最強キャラはこの犬だ。
FF8には、パッケージや説明書のどこにも「NO RESALE」マークがありません。
「一生手放せないソフトになるでしょう」とか言ってたから、たぶんその自信のあらわれでしょう。
【ユメオチックなストーリー展開】
現在、ストーリーに対するユーザーたちの意見は、「面白い」と「ダメだ」と真っ二つに別れているようだ。これは個人の感性の違いというより、序盤しかプレイしていないか、後半までプレイしているかどうかの違いだろう。
特に、いま雑誌などで攻略記事以外のFF評が語られている場合、時間的に最後までプレイせずに書いている可能性が高いので注意。
見分け方。「G.F.が強すぎる」などと書いているライターは、まず間違いなく前半までしかプレイしていない。後半は「力」や「早さ」 (速さだろ、この場合は) にジャンクションして殴った方が強いし、ステータス攻撃にデスを100個つければたいていの敵は一撃で即死してくれる。それに何より召喚エフェクトの長さにイラついて使わなくなるからだ。
序盤は確かに、学園モノという新しい舞台を生かしたドラマが展開される。この「学園モノ」というのにまず嫌悪を感じる人もいるかもしれないが、中盤以降は学園モノという設定 は全く意味をなさなくなり、ただのフィールド型RPGに成り下がるので御安心を。そう、DISK1の後半あたりから、物語は急速にきしみはじめる。
まずはヒロイン、リノア。
こいつ人の話ぜんぜん聞かねぇ。強引な展開というより、自分の言葉が他人に通じないという強烈な不安感を味あわされる。
聞くところによると、彼女の性格はキャラデザインの野村氏が自分で設定したそうで、絵だけでなく「セリフ集」などまで作成し、シナリオ担当者に渡したのだという。
「この娘はこんな喋り方はしない!」というワケだ。
キャラ選択の範囲が広いギャルゲーならまだしも、RPGで制作者の女性の好みを押し付けられても困るんだがなあ。とりあえず私はコイツ大嫌いなんですけど。
あくまで個人的な感想であることはわかっている。しかしただ仲間になるだけならともかく、シナリオ上で強制的に主人公と結ばせようとするのはやめていただけないか。
さらに、新しいヒロイン像を狙ったのか知らないが、おもいっきり足手まといだ。このバカのせいで発生する余計なイベントの多いこと多いこと。リノアが存在していなければ、このゲームは3割以上ラクになっているはず。
何とかしてパーティーから外そうと努力したのだが、けっきょく世界的危機の引き金となったのはやっぱりこの女だった。・・・こいつさえいなければ。
ただ、他の脇役は名前入力ができないにも関わらず、リノアだけは自分で名前を付けられるのはポイント高い。
私はもちろん「バカおんな」と命名。
周囲の全員から「バカおんな」と呼ばれるリノア。なかなか悪くない感じだ。
そしてDISK1の最後を飾る大イベント。
「狙撃ならまかせろ」とばかりに登場し、いざ本番となると突然ビビりだすアーヴァイン。いちおうこのときの彼の言動は、後に明かされる彼らと魔女イデアの関係から納得がいくのだが、
『里見の謎』で「拙者、高いところは苦手でござる」と言ってパーティーから抜けた忍者ジュウベーを思い出してしまった。
さらに、プレイされた方は、あの地下水路のマップを思い出していただきたい。
世界の運命を左右する重大なミッション。失敗すれば自分たちの身にも危険が及ぶし、しかも事態は一刻を争う。そんな状況でキャラクターたちは、幅1.5メートルほどの浅い水路の向こう側に渡るためだけに、いちいちモンスターと戦いつつえんえんと遠回りをしているのである。
飛び越えりゃいいだろ、それぐらい。
そう、このあたりまでくるとプレイヤーもそろそろ気付いてしまうのだ。
無茶苦茶なストーリーを、美麗なCGと大袈裟な演出でごまかしているだけだということに。
【唐突に明かされる衝撃の真実】
DISK2では、さらなる衝撃がプレイヤーを襲う。詳しくは書けないが、実はスコールたち一行と、魔女イデア、サイファーといった主要キャラクターには過去に深いつながりがあった。
そして、とあるイベントが起こるまで全員それを忘れていたのだ!
・・・ここで、データをセーブしてからリセット。オープニングのクレジットを確認してみる。
何を確認したのかって? どっかに「YUMEO OZAWA」とか書かれていないかどうか。
きっとスクウェアのことだから、最近のバカゲーブームに目を付け、その要素を取り入れようとしたのだろう。せめてそう思わせてください。
いちおう『G.F.使用の副作用として過去の記憶を喪失することがある』という伏線があるのだが、それにしたって全員が奇麗にそのことを忘れるというのは変だし、セルフィやアーヴァインがパーティーに加わったのは全くの偶然のハズでは? そりゃあちょっと無理があるよ野島さん。
・・・えー、こういうまわりくどい表現じゃプレイしていない人にはわからないと思うので、ちょっと現実の話にたとえて説明しようか。
あなたは大学を卒業し、ある会社に入社します。入社してしばらくたった頃、あなたはある事実に気付きました。あなた自身も含め、全員おぼえていなかったのですが、同期入社の新入社員はみんな小学校時代の同級生でした。ついでに社長は実はあなたの父親でした。
この話を読んだ感想を次の中から選びなさい。
1、なんてドラマチックな展開なんだ!
2、人の運命は本当にわからない
3、ユーザーをなめてませんか
4、酒やドラッグはほどほどにしたほうが良いのでは
5、アンジェロ可愛いなぁ(現実逃避)
この例に限らず、「実は忘れていた」 「主人公は知らなかったが、実は○○だった」 「よくわからないうちに××が起こっていた」
というのが本作を貫くキーワードなので、これからプレイされる方は、置き去りにされないようにくれぐれも注意してほしい。
【とし子、宇宙へ】
DISK3に入ると、ここまでのユーザーの不安をよりいっそう煽り立てるかのように、
物語の壊れっぷりは加速度的に進行していく。何の脈絡も必然性もなく、いきなりリノアが原因不明の仮死状態に陥ってしまったので(冗談っぽく書いていますが全て本当の話です)、よせばいいのに主人公スコールことめゃづーち(「じどう」機能で命名)は、彼女を復活させる方法を探しにいくことに。
それにしてもこのゲーム。苦労してボスを倒しても、直後に起こるイベントで台無しにされるというケースがほとんど。強敵に勝利するというカタルシスはいったいどこに。
どうも本作は、もう完全に戦闘を『イベントの合間のミニゲームの一種』としてとらえているようだ。
「これに勝ったら次のイベントを見せてあげます。なお、戦闘の内容とストーリーは直接関係ありません」という感じ。なんだ、脱衣麻雀と同じ仕組みか。
そうは言ってもさすがはスクウェア、CGをこれでもかとばかりに強化したり、さまざまな動きの演技をとりいれたり、効果音に凝ったり、ミニゲームを全てつまらなくしたりと、プレイヤーを話に引き込む配慮は一流だ。
さて、リノアを救うため、プレイヤーである私の意志を無視してエスタという国に向かった一行。ここでのムービーや背景CGは、ストーリーの山場ということで非常に気合が入っているが、それ以上にすさまじいのがストーリー展開。
「〜でおじゃる」口調のオダイン博士という人物に言われるまま、スコールと仮死状態のリノアは『ルナゲート』という場所に行く。ちなみにルナゲートが何なのかという説明は無し。
そしてやっぱり説明がないままカプセルに詰め込まれ、月へと打ち上げられるスコール。
科学力はスゴイが、やってることは『里見の謎』の人間大砲と同じ。
あまりに強引すぎる展開に真っ白になった頭の中に、マサルさんの魔球第3号「とし子 宇宙へ」が思い浮かんだ。
その間、地上では『ルナティック・パンドラ』という今まで名前すら出てこなかった物体をめぐるイベントが唐突に発生して唐突に終わる。
再び宇宙。登場して一秒で正体がバレるエスタ大統領。御都合主義を通り越した飛空艇ラグナロクの登場(広大な宇宙空間でのニアミスの可能性がどのぐらいか知っていますか?)。
「僕にはまだ還るところがあるんだ・・・」そして、イベントの途中で流れ出す主題歌。
歌っているフェイ・オンさんは「アジアの歌姫」として世界的に有名な歌手だそうだが、日本じゃあ二番目だぜ。(一番目は島ひろこ)
・・・とまぁ色々あったが、「リノアを見殺しにする」という個人的な最終目標を達成し、無事ゲームクリア。あぁ、終わった終わった。『リノアは永遠に宇宙の放浪者となった・・・』というラストメッセージは感動的だった。
モノクロCGにGAME OVERの文字が重なるシンプルなエンディングも素晴らしい。やはり最後は、さすがFFといったところか。
・・・ところでDISK4が一枚あまったけど、何に使うんだろう?
同梱のアンケート葉書に注目。
「あなたのお持ちのハードは?」という質問で、項目の中にピピン@や3DOがあります。・・・過去を掘り返すのはやめてやれよ。
あと、「購入予定のハード」の項にもピピンと3DOが挙げられていますが、これはたぶん誤植でしょう。このアンケート、肝心のゲームの感想を書く幅が5ミリほどしかなかったりと、何か変だし。
【八頭身グラフィックの弊害、そして真実】
ストーリー紹介が完了したところで、次はグラフィックについて。もちろん大っぴらには発言していないが、やはり今回のFFは欧米仕様という意識が根底にあるようだ。日本のFFから世界のFFへ、というわけである。
(詳しくはこちらの2/28の項を参照)
その割に主人公はいかにも日本人的な内向型キャラクターで、とうていあちらの社会に受け入れられるとは思えず、いったい何を狙っているのか理解に苦しむのだが、
とにかくその欧米指向のその最たるものが、よりリアルになったグラフィック。しかし、これもまた長所以上にさまざまな問題点を生む結果になっている。
八頭身でリアルになった分、他人と会話するために走り回ったり、障害物にひっかかってジタバタしたり、壁にぶつかったりといった動作の一つ一つが滑稽に見えて仕方がない。デフォルメされたキャラなら気にならないんだけど。
それから、これまでは微笑ましかった独特のユーモアセンスが、リアルな人物の口から聞かされると、どうにも浮いた印象を受ける。ハッキリ言うと寒い。
さらにカメラをアップにするとキャラクターが画面に入りきらなくて細かい動きが表現できないとか、縮尺上の問題もある。特に、画面内でキャラクターが占める割合が多いため、結果として一つのマップ内で動き回れるスペースが減り、やたらマップ切り替えが多いということになってしまっている。
このリアルさが「映画的」というものなのだろうか。
しかしムービーはいいとして、マップ上やバトル中ではキャラクターは表情一つ変えることなく、のっぺりしたテクスチャを貼りつけたままなのに、「映画的」と称するのはちょっと無理があると思う。俳優の表情の演技がない映画なんてなぁ・・・。
・・・ん、ちょっと待てよ。
仮面でもかぶっているかのように無表情な登場人物。
奥深いんだか単純なんだかよくわからないストーリー。
常識や理屈というものを超越した展開。
そして、裏に隠された独特の精神世界。これらの要素から、あるものが連想されないだろうか。
そう、日本古来の伝統芸能、「能」だ!史上初、能的RPG。
そうか! スクウェアの本当の狙いは、日本文化のワビサビを欧米人に叩きこむことだったのですね! さすがスクウェア、やることが違う。
・・・だとすると、ここ最近プロデューサーの坂口氏が、まるで何かにとりつかれたのように、
「映画、映画〜!」「ハリウッド、ハリウッド〜!」などと言っていたのは、外人をだましてFFを買う気にさせるための策略だったのか。道理でおかしいと思った。
まあ、日本人が作ったものはどう取りつくろっても「日本的」になるし、ゲームは「ゲーム的」でしかありえない。分不相応なことを考えちゃイカンね。
【最後に・・・】
いろいろ書いてきたが、初めに言ったように、今回の8はあくまで実験作。コレだけを取り上げてFFシリーズの全てを語ることはできないだろう。誰にだって失敗はあるし。
流れからすれば、次のFF9は前二作の不満点を解消した超名作となるはずだ。そう期待しよう。
最後に、バカゲー騎士団長としてではなく、一人のFFファンとして、この作品に一つの言葉を贈りたい。私が敬愛する俳優の言葉である。
「ダメだこりゃ。次いってみよう」 (いかりや長介)
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