この道わが旅 夢幻工房入り口 -> 2次創作



月夜の魔法


「はぁ〜……今日も一日よく働いたわ……もうクタクタよ」


だらしない声が後ろの座席から聞こえてくる。
しょうがないなぁ……運転しながら俺は、その声の主……律子に答える。

「おいおい、アイドルがそんなだらしない声出すなよ、はは。
 忙しいのはそれだけ律子に魅力があるってことだろ?」

そんな俺の言葉に気を良くしたのか、バックミラーに映る律子の顔がニヤける。

「なぁに?褒めても何もでないわよ?まっ、私自身も驚いてるわよ」

指折り数えながら何かを思い出すように天井を見上げる律子。
その様子はバックミラーで見る限りとても嬉しそうだ。

「えーっと、もう何週間目?えーっと……えーっと……」

「ははは、律子。もう老化したのか?そりゃ、いつもやってるゲームで50才連発だよ」

「あーもう!うっるさいわねー!えーっと……あっ、そういえばあの記念日からプラス4週かぁ……」


──あの記念日── その単語に運転する俺の肩がピクッと動くのを見逃さない律子。
ちょうど車は人気のない公園の側に信号待ちで停車する。


月明かりが綺麗な海辺の公園……俺は思い切って声をかける。

「……コホン、お姫様。そんな記念日に月夜のお散歩なんかいかがですか?」

「ふふっ、あら?それじゃ今だけ……この魔法を解いてもらえないかしら?」

メガネをクイッと持ち上げて笑いながら律子が答える。
そして、バックミラーには唇を重ねる俺たちの姿があった。




──それは1ヶ月前──




同じように車で事務所に帰宅した俺たちはクタクタになってロッカールームに入ってきた。

「はぁ……プロデューサー、私着替えるんで。出てってください」

「あ、おー。荷物取ったらすぐ出るから」

スチールの金属音と衣擦れの音。律子が着替え始めたらしく終始無音の時間が続く。
俺も荷物をまとめてロッカールームを出ようと声をかける。

「おつかれー、律子。送っていくから外で待ってるぞ」

「…………っ、あ、はーい」


ちょっとワンテンポ遅れた返事。
あまり気にせずロッカールームを出て、ベンチに腰掛けジュースを飲む。
はぁー、と一息つきながら律子のプロデュースの今後を考える。

トップアイドルの道をひた走る律子ががんばってくれているおかげでプロデュースは順調。
まったく問題もなく順風満帆。

……それが怖い。

順風満帆が怖いっていうのも変な話だが、今までのプロデュースを振り返っても
うまく行っているときにこそ落とし穴が潜んでいる。
とりとめのない不安を杞憂だと押さえ込みながらも、一人考えると暗くなってしまう。

そんな風に考えながら、ふと時計を見る。

──午前1時過ぎ──

帰ってきたのは24時だから1時間以上経った計算になる。
そこで、ふと気がつく。着替えているはずの律子が遅すぎる。

俺がロッカールームを出たのは遅くても10分ぐらい。
それから考えても遅すぎる。……律子?



それよりも数十分前。プロデューサーが出て行ってからのロッカールーム。


スチール製のロッカーに備え付けられた鏡を見て、私は泣いていた。
何が哀しいって……何が哀しいか分からないけど哀しい。

気がつけばピンクの衣装を抱きしめて、メガネを曇らせて。

今まで、がんばってきたアイドルという仕事。
でも、本当は事務作業のほうが似合ってるんじゃないのか?
ファンのみんなに生意気な女と思われていないだろうか?
街行く女の子たちにコネで売ってるアイドルと蔑まれていないだろうか?
プロデューサーに扱いにくい娘と思われていないだろうか?

いつも、いつも不安に押しつぶされそうな感情が、今日はなぜか……
全部、綺麗な満月に照らされてる寂しいロッカールームが悪い。

そうでも思わないと、不安に押しつぶされそう。

アイドルをやっていくって言う夢を見せてもらって、魔法をかけてもらって……
そんなプロデューサーを信じられず、ファンを信じられず。

そんな自分がイヤで、みんなを裏切っているようで。
いっそう不安が心を締め付けて、ギュッと心臓をつかまれたように。


不安と後悔のスパイラルに陥って、私は泣いていた。



──コンコンッ

「おい、律子!入るぞ!」

ロッカールームをノックする間も惜しいと思うほどでも
こっぴどく怒られた記憶が蘇ってノックしてしまう自分が恨めしい。

ひっそりとしたロッカールーム。
月明かりに照らされたスチール製のロッカーが並ぶ中、俺は律子の名を呼ぶ。

「律子……大丈夫か?律子、律子!」

「っ、ぐすっ……は、はぁぃ……大丈夫、大丈夫ですから、出て行ってください」

そこには、しゃがみこんで瞳を赤く腫らした律子の姿があった。
あの律子が……泣いてる……

「律子!」

「っ、ひぅっ、だい、大丈夫ですから、プ、プロデューサー。
 着替え途中に入るなんて、ひ、ひどいですよ……」

思わずしゃがみこんでしまった俺を睨む律子。
だが、その瞳には溢れるばかりの涙が光っていた。


振り向いた勢いでメガネが音を立てて床に落ちる。
その姿に、思わず俺は膝をついて律子を抱きしめていた。

「プロデューサー!?」

「ごめん、でも……俺、なんにも気づいてあげられてなくて……」


気がつけば、律子の肩を抱きしめ耳元で囁くように呟いている俺。
そのまま律子の唇に唇を重ねる。

その瞬間、一瞬だけ律子の身体から力が抜けたように感じた。
だが、押し付けるだけの乱暴なキスに、律子はすぐに俺を突き飛ばそうと力を入れる。

「んっ!これ以上はダメです、プロデューサー!
 もしかして、私のアイドル人生終わらせるつもりですか?」

我に帰った俺はうつむいて律子の罵倒を聞く。


「……そんなワケない……ただ……」

「ただ?……もしかして同情ですか?私に同情で……こんなコトを?!」


律子は強い口調で俺を攻める。涙声を大きく張り上げて。
肩を震わせて、ギュッと拳に力を入れてうつむきながら。

「?!違う、同情じゃない。ただ……律子の、その言葉で目が覚めたんだ。
 俺は自分の気持ちに素直になってはいけない、律子のプロデューサーなんだから」


俺はさっきの行動を詫びる。詫びて済むもんじゃない。
最悪、律子のこれまでの経歴を滅茶苦茶にした挙句、俺と一緒に芸能界抹殺……

だが、俺だって……いや、これは全部言い訳だ……

そんな考えをめぐらせる俺に律子が意外な言葉をかける。


「答えになってません。私は、なんでキスしたのか、知りたいんです」


なんでキスしたか……そんなの……そんなの……

「それは……律子が、好き……だから。可哀想とかじゃなく、本当に。
 今、律子のことを愛したいって思ったから……」


俺が悩んでいるのと同じように、いや、それ以上に律子は自分の将来を悩んでいたんだろう。
悩んで悩んで、全部自分で抱え込んで。こうやって誰も見てない場所で泣くしかなかったんだろう。

俺の勝手な想像かもしれない。でも、現実に泣いてる律子を目の前に。
俺が大好きな律子が目の前に居て、泣いていて、抱きしめない理由なんてない……


長い沈黙の後……律子がメガネを拾って呟く。

「…………はぁ、合格です」


合格?……今、なんて言ったんだ?合格って言ったのか?


「私だって我慢してるんですよ?それなのに、ひどすぎます」


律子が赤い顔で俺を見つめる。泣いていた顔を恥ずかしげもなく俺に向けて。
そしてにっこりと笑って俺に抱きつく。

「私も、好きです、愛してます、プロデューサー……」


俺の耳元で囁くように告白する律子。

「さっき、乱暴なキス……嬉しかった。ご都合主義だなんて思わないでくださいね。
 ……私が寂しくて押しつぶされそうなとき、いつも勇気付けてくれたプロデューサー。
 でも、今日だけはダメだったの。心が哀しくて、潰されそうで、でも……」

律子の告白をじっと聞く俺。
背中をポンポンと叩いて律子の言葉を促すと、嗚咽のようなしゃくりあげる声が聞こえる。


「っ、ひっくっ……今日は、本当にダメで……私、アイドルやっていくのに無理なんじゃないのかって……
 私みたいな女が、あまりにもリスキーな業界を綱渡りで歩いて……自信なんか無理やり出して。
 ……それでもみんなに迷惑をかけて、もう、もうアイドルやっていくのなんて……」

何度も同じ言葉を続ける律子。相当アイドルの仕事が不安だったんだろう。
そのたびに、俺は背中をポンポンと叩いてやる。赤ん坊をあやすように、小さな子供を慈しむように。


「都合のいい女だなんて思ってもらってもいいです。でも、今日、プロデューサーに勇気を貰いました。
 愛してるって言ってくれる男性からキスされて、それが自分が愛してる男性で、私……私……」


そう言いながら、律子は瞳を閉じて俺のほうを向く。
もっと……して欲しいんだろうか?いや、俺も今だけは素直になろう。

律子の頭を抱きしめて唇を重ねる。

始めは優しく。次に強く。舌を唇に沿って動かすと、濡れた唇が静かに開いていく。
恐る恐る開かれた唇の中に俺の舌が進入して陵辱し始める。

舌を絡めて唾液をすすり、律子の舌を強く吸う。

強く頭を抱いてもっと乱暴に唇を重ねると、律子も応えてくれる。
舌を絡めて柔らかさを感じつつ唾液を交換しながら……唇が離れる。

お互いの唇の間には透明な一本の糸が繋がり……そして切れる。


「……ふぅ……今、プロデューサーの気持ち……貰いました」

「俺も、律子の気持ち……貰ったよ」


ほぅっ、と息を吐いてキッと俺を睨みつける律子。

「でも!これ以上はダメです!私にかかった魔法、まだ解けてないんですからね!」


そう言いながらも、笑いかけてくる律子。釣られて俺も笑う。
ひとしきり笑った後、着替えて車にエスコートすると珍しく助手席に座る律子。


「……プロデューサー……私の魔法、解くときは……」

グッと俺の太ももを押さえて身体を乗り出した律子は俺の唇を奪う。

「これが合図ですよ」


メガネの奥、嬉しそうな瞳の律子を見つめながら、
俺は律子にかけた魔法、トップアイドルの夢を叶えるためにいっそうの努力を誓った。





この道わが旅 夢幻工房入り口 -> 2次創作