突然だが、私の愛読漫画・ギャグ編。これを読んでいない人とは完全に心が通じ合えません。
◆ 『すごいよ! マサルさん!!』(集英社・うすた京介)・・・説明不要。
◆ 『エクセル・サーガ』(少年画報社・ヤングキングOURS連載・六道神士)・・・世界征服を前提とした市街制服を企む秘密結社に仕える少女エクセルの、
正義(危険思想)と平和(=敵の消去)と陰謀(被害妄想)と宿敵(国家公務員)と権力者(ヒゲ)とアルバイト(生活苦)と非常食(犬)の物語。「神様仏様、もしこの世にいるのなら・・・お前ら絶対 敵だーーーーーっ!!!」
◆ 『ジャングルはいつもハレのちグゥ』(エニックス・少年ガンガン連載・金田一蓮十郎)・・・ジャングルの小さな集落で暮らす少年ハレの家に、ある日とつぜん謎の少女(と言うか、本当に人間かどうかすら不明)グゥが現われる。
一見ありがちな展開の中、少女にもてあそばれることにより純粋な少年が汚れた大人へと成長していく姿をほのぼのとしたタッチでシビアに描いた世紀末ホームコメディ。って何が何だか。
◆ 『逆境ナイン』(徳間書店・島本和彦)・・・「甲子園で優勝できなければ即・廃部!」 大風呂敷を広げてしまった野球部キャプテン、不屈闘志(←名前)。数々の苦難を全力で乗り越えて、ついに迎えた地区大会決勝。エース不屈の第一球。しかし彼は相手打者のピッチャー返しを顔面に受けていきなり昏倒してしまう。
目覚めたときはすでに九回表。スコアは112対3。
猛反撃を開始するも、返しても返してもなかなか減らない109点差。果てしない攻撃に、ナインは一人また一人と倒れていく。・・・来たッ!! これが逆境だッ!!!
飛行機があれだけ高く飛べるのは、すさまじいばかりの空気の抵抗があるからこそなのだ!
◆ 『極楽りんご』(朝日ソノラマ・林正之)・・・「俺がエリツィンだ! 北方領土を返すぜ! ウソだけどな!」ウソつきのりんご君と和尚と蘭丸の物語。そうとしか書きようがありません。
「もし勝てたら、褒美にこの “ゼンマイで走る仏像” をやろう」
「わぁ、すごい! もし負けたら?」
「罰として “ゼンマイで走る仏像” を持って帰れ」
「・・・先生、ホントはそれ捨てたいんじゃないですか?」
「あの不審船のハナシ、聞きました? 物騒ですよねェ。やっぱり自衛隊の装備を見直す必要があるんじゃないでしょうか」
「いや、それは違うぞ。確かに最高時速に差があったのは事実だが、問題は装備ではない。それを扱う者の技術や気合が足りんから、ナメられた真似をされるのだ。装備があっても使いこなせなくては意味がないしな」
「では、どうしろと?」
「しょせん、競争のない業界に進歩や向上はないのだよ。いっそ各地方ごとに自衛隊に企業のスポンサーをつけて分割民営化し、定期的に合同演習をやって勝敗を決めるというのはどうだ」
「ははぁ。言いたいことがわかってきましたよ。 つまり自衛リーグというコトですね」
「その通り。サポーターができたり、人気のある隊員のブロマイドが売られたりすれば、自衛隊員・・・いや、自衛リーガーたちも気合が入るというものだろう」
「そして子供たちが、将来なりたい職業に『自衛リーガー』とか書くようになるんですね! これで日本の未来は安泰だ!」
「今どき、お国のために命をかけるようなバカはいないからなー。それならば『人気のため』とか『自分の給料アップのため』とかいった動機でやってもらったほうが安心して任せられる。あと、ジャンボ機などよりまず戦闘機にポケモソを描くべきだな」
「なぜです?」
「相手の戦意が薄れるだろう。ピカ千ュウとか見たら。ついでに助っ人として外人選手を金で雇ったりすると、敵もうかつに攻撃できなくなるぞ。もしうっかりその外人を殺してみろ、相手が日本だけではすまなくなる可能性があるからな。
とりあえず韓国あたりから何人か欲しい」
「・・・あまりそういう、右翼と左翼と両方から刺されるようなことばかり言うのはどうかと・・・」
「いや、右翼と左翼だけでは飛行機は飛ばん。私のような尾翼勢力がいてこそバランスが保たれているのだよ。無抵抗主義も非武装中立ももう古い。かと言ってせっかくの平和憲法を反故にするのも何だ。
これからの時代に求められるのは、こちらから先手を打って相手の戦意を刈り取るという、よりオフェンシブな戦争放棄の姿勢ではないだろうか。
・・・さぁどうだ小渕くん、次の防衛庁長官は私が引き受けてやってもいいぞ」
今日は、メーカー側から見た雑誌のクロスレビューの価値について考えてみることにする。ジャンルもユーザー層もますます多様化している近年のゲーム界にあって、残念ながらクロスレビューは本来の機能を失いつつあるというのが現状ではないだろうか。
もとよりゲームマスコミに関わる人種というのは偏っているし、一本のソフトにつき3〜4人、ゲーム誌すべてを合わせてもせいぜい20人というレビュアーの中に、そのソフトの対象層とピッタリ重なる者がどのぐらいいるのか。
また、毎週毎週洪水のように発売される新作の中で、一本のソフトにそうそう時間はかけられまい。そのぶん当然、プレイが浅くなる。
・・・とまあ、このへんは今さら言うまでもないことだとは思うが。
では、どうするか。ここはひとつ、インターネットに着目してみてはいかがだろう。それも個人ページにである。
たとえばこの「神聖バカゲー騎士団」。私のレビューがきっかけとなって『戦国TURB』を購入した人は、たぶん全国で30人ぐらいはいると思う。
私の見積もりでは、あのソフトの実売数はおそらく3万本ぐらいだろうから、実にその0.1%が私の功績ということになる。
営業や広報関連の部署にお勤めの方なら、この0.1%という数字がけっこうバカにならないものであることが、おわかりいただけるかと思う。
なにしろ、もし仮に私のような人間が1000人ほどいたとすれば(いないと思うけども)、キャンペーンどころか雑誌広告すら一つも打たずに、寝て遊んでいるだけで3万本も売れるのだ。しかも全く金をかけずに。
バカゲー専科で取り上げた『10101』にいたっては、ただでさえ実売3000本などと言われていて新古として流れまくっているシロモノであるから、
私の影響で新たに150本売れたとして、総売上の5%に貢献したことになる。もはや広報係として給料をもらってもおかしくない数字だ。
このように個人ホームページを通じて販促をはかれば、ソフトの内容に合わせ、すでに絞りこまれたハズレなしの読者層を取り込むことが出来るし、リアルタイムで生の正直な反響が聞けるわ、頼まなくてもソフトをやり込んでくれるわ、
それに何より、新たに危険な投資をする必要がない。せいぜいサンプルを一本送ってやればすむことだ。
今の時代、ただ単に会社のホームページを開設しただけで「これでインターネットは完璧だ」などと思っているようでは、見通しが甘いと言わざるを得ないだろう。
(本音): ソフトください。
殺伐とした事件が続く「時はまさに世紀末〜」な今日この頃だが、相変わらず少年が犯罪を起こすとすぐゲームのせいにする輩がいる。人間は常に周囲のものに影響を受けながら生きているのだから、そりゃあゲームの影響だってゼロとは言い切れないだろう。
しかし同様に小説やTVから受ける影響、そして何よりも世の中やまわりの大人たちの影響を無視してはいけない。
要するに、世の中が救いようが無いほどつまらなくて、自分自身が生きることに喜びを見出せないから、
行動にブレーキも効かないし、他人をひと思いに殺してあげることにもさほど罪悪感をおぼえないのだろう。自分だっていつ死んでもいいと思ってるんだから。
そもそも、まるでゲームのせいで少年犯罪が増えているかのように語られることが多いが、それはウソというものだ。わかりやすく他のことに例えてみよう。
「交通事故の発生件数は、100年前と比べ数万倍、あるいはさらにケタ違いの数にまでふくれあがった。
これは、この100年間で人間の性格が、はるかに粗野で狂暴になったことを示している」
この論理がおかしいことは誰でもわかるだろう。これはもちろん、100年前と比べて自動車の数が爆発的に増えたからである。
そう、近年 ゲーム人口そのものが急増しているのだ。当然、その中でたまたま犯罪を起こしてしまった少年の数も増えていることだろう。むしろ増えていなければおかしい。たとえば、これと全く同様に、
「携帯電話を持っている少年の犯罪」「キシリトール入りのガムを噛んでいる少年の犯罪」「モーニング娘。のファンの少年の犯罪」
・・・なども、一年前と比べて爆発的に急増しているはずだ。
そしてこのデータから、「モーニング娘。の歌は少年犯罪を誘発する」という、久米宏がニュースステーションで口走りそうな無茶苦茶な仮説を立てることも可能。
(信じるヤツはいないと思うが)
また、逆の視点から見て、たとえば不幸にもガンにかかってしまった中高年というワクの中でも、(『電車でGO!』などの影響で)ゲームにハマっていた人は増えてきているだろう。
つまりゲームには発ガン性があると言える。 わぁ大変だ。 ・・・・なんでやねん。
要するに、問題は絶対数ではなく、あくまでパーセンテージなのだ。どうやら、専門家のちゃんとした研究結果が出るまで、素人は余計な口出しをしないほうがいいようである。
TVでオウム関連の裁判を見て、ちょっと昔のことを思い出した。数年前、某・手かざし系宗教の自主出版物を見せられた時のこと。(ちなみに私は今も昔もその団体とは無関係なので誤解なきよう)
その出版物には、ちょうど最近話題の『買ってはいけない』のように、様々な食品に対する批判が書かれていた。農薬や、輸入問題などについて触れられているうちはまだ良かったのだが、目を疑ったのがファーストフード批判の項。
まさか今時、「マ○ドナルドの肉はネズミ肉」とか信じている人がいるとは思わなかったよ。
・・・食用にネズミを養殖しているとか言うのならまだしも説得力があるのだが、
その本によると、ファーストフードのハンバーガーの原材料はオーストラリアの農作地に出没する野ネズミだという。もちろん捕まえるのは手作業らしい。
おいおい。わざわざ一匹一匹ネズミを手でつかまえて肉にするぐらいなら、普通の牛肉を使った方がよっぽどコストが安いだろうが。
そもそも、ネズミ一匹からハンバーガー2個分の肉が取れるとして、いったい日本の分だけで
一日あたり何百万匹のネズミを捕まえなければいけないのか?
盲信は論理的思考力を奪うという好例だ。
「お腹すきましたねー。マックでも行きます?」「は? いま何て言うた?」
「いや・・・マック・・・」
「アホが。マクドナルドの略称はマクドや、マクド! 郷に入っては郷に従えと言うやろ。敬語以前に、関西人と話すときの最低限の礼儀と心得ろ」
「そ、そういうもんですか」
「この単語で敵と味方を判別するからな、関西人は。この辺りならまだいいが、梅田の人混みの中で “マック” とか口にしてみろ。いきなり背後から金属バットでツッコまれても文句は言えんぞ」
「それってタダの通り魔じゃあ・・・」
「関西をなめんな。マジやぞ」
「いやしかし実際、マックと略してどこが悪いと言うんです?」
「あのなー。マック(Mc)ってのは<〜の息子>っていう意味を表す接頭語や。マクドナルドをマックって略すんは、言うたら関東を “関” と略すんと一緒。まるで意味をなさん。マクドと略すほうがよっぽど筋が通ってる」
「いやでも、関西新国際空港は “関空” って略してるじゃないですか」
「アホ。関東空港なんていう空港はないからエエんや。世界中にマックで始まる名字がいくつあると思てんねん。
・・・お前らはアレか、八百屋のマクミラーさんも葬儀屋のマッカーサーさんもみんなマック呼ばわりか? トマトとキュウリとレタスをセットで売ったり、フレッシュマック(flesh=人体)でも作れば満足なんか!」
「いや、だってマクドナルド自身もマック何とかってよく言ってるし・・・」
「自分で言うてたらそうなんか? じゃあ お前は浜崎あゆみを“あゆ”って呼ぶんやな?」
「彼女の歌はわりと好きですが、それだけは勘弁してください。
そういうあなたこそ、呼ばれたくもないのに “ウルフ” と呼ばれる高橋由伸の気持ちをわかったほうがいいですよ」
「巨人の話はするな」
その他の地域にお住まいの方へ。関西人とは本当にこういう人種です。
最近コンビニに行くと、エビアンだとかヴォルヴィックだとかいう飲料水のペットボトルをよく見かける。何でも、外国からわざわざ輸入しているらしい。ヨーロッパのあたりなんかでは、地盤の関係で飲めない水が多く、ずっと昔から飲料水は店で買うのが当たり前だったのだ。
中世でも、遠く離れた湧き水や泉などまで水を汲みにいくことも珍しくなく、だからこそ「腐らない水」であるワインなんかが重要視されたワケだ。水に恵まれた国である日本とはそもそも事情が違う。
だいたい、海外からはるばる輸送しても採算が合うということは、それだけ消費者からボったくっているか、あるいは現地では安物というコトじゃないか?
新鮮かつ、輸入などに余計なコストを使っていない近場の「おいしい水」でも買ったほうがよほど信頼がおけると私は思う。肉や米は国産でないとイヤがるくせに、水だけ外国産の物をありがたがるのもおかしな話だ。
他人の好みに文字どおり水を差すのもアレだけど。
『ファイト・クラブ』。鳴り物入りで日本公開された割には、たいして話題にもならずレンタル屋行き。
冷静に考えてみれば、これで主演がブラッド・ピットじゃなくてあまり売れてない俳優だったら、見ようかという気すら起こらないような作品だからな。
ひょっとしたら中身は面白いのかもしれんが、最初の時点で失敗している。
予告編を見た限りでは、どうやら平穏な退屈な日常に疑問を感じる主人公が、ちょっとキケンな変人(ブラッド・ピット)が仕切る喧嘩同好会(格闘系でありながら会の主旨がハッキリしなかったり、リーダーがいきなり突拍子もない指令を出すあたりはセクシーコマンドー部に酷似)
に引き込まれてどうこう、という話らしい。
要するに、暴力というものを文学的に描いた映画というところだろう。これがまず根本から間違っている。
普通の人はわざわざ映画館に行ってまで金を払って“文学”を押し付けられたいとは思いません。それに、余計な理屈をこねる暴力など退屈なだけです。
『セブン』の監督が満を持して放つ意欲作、とか言われたって、私にとって『セブン』はトラウマでしかないから頼まれたって次回作など見たくありません。どうせならブラッド・ピットが巨大ヒーローに変身して戦う『ウルトラセブン』にでもしとけば良かったのにね。 (←ベタなオチ)
どうも90年代後半あたりから、ストーカー・強姦・精神異常者・猟奇殺人・心身障害者などといった、
普通はタブーとされているものや人が嫌悪を感じるものをテーマとして取り上げて、見る者の心に無用な爪痕を残し、それを「影響を与えた」などとカンチガイしているような作品が幅をきかせているが、
やはりそれは単なる露悪趣味であって創作の姿勢としては邪道だと思うのですよ。
昨日の『リング』の話、私は原作を読んでいないのでこういうことを書くのも何だが、あの “呪い” とやらはけっきょく何なのだ?
どんな怨念があるにしろ、それを何十年もたってから、何の関係もない現代の人間にぶつけてどうなるのだろう。
いったい何がやりたいわけ、貞子サンは?
ホラー作品をこういう観点から見ること自体、間違っているのかもしれないけど。
だいたい私はこういう、悪役の行動に意味も必然性も感じられず、ただなんか悪くて怖いだけという話が大嫌いなのだ。RPGでもそうだ。たとえばあの魔女アルティミシア。
自分以外の全てが滅んだ世界を支配して何が楽しいのか。封印されてるのと一緒じゃん。
もっとありがちになると、単純な権力欲だけで世界征服をたくらむ悪の皇帝というヤツがいるが、これはもっといただけない。
一国の支配者クラスになれば、人間の欲望の大半は実現できるはずで、それ以上を求めても犠牲と苦労が増えるだけで見返りはないと思う。世界全体を治めるのなんて大変だし。
私個人の好みで言わせてもらえば、その悪の皇帝の腹心の腕利きの参謀とかいうポジションがベストだ。
そこそこ権力もふるえるし、現場も仕切れるし、裏で陰謀をはりめぐらせたりして楽しそうだ。
暴虐な皇帝の横で、表面上はフォローにつとめ、良い子ヅラをしてみたり。
そうそう、それにトップに立っちゃうと寝返れないしな。
あ、そうか。ありがちな悪役が嫌いなのは、自分のほうがもっと腹黒いからか。納得。
「君の無能ぶりには失望したよ。
そんな手ぬるいやり方で、理想が達成できると思っているのかね?
……もういい、上のほうには私から報告しておこう。 さっさと消えたまえ」
オイシイなぁ、参謀。 (あこがれ)
あの『リング』シリーズの最新作がついに登場!
「呪いのビデオは“映画の著作物”に相当し、貞子の法的許可なく複製することは違法である」という判決が東京地裁で下った。もはや呪いを防ぐすべはないのか。一方そのころ大阪の道頓堀から、悲劇のチャネラー横山秀吉が念写した第二の呪いのビデオが発見されていたが、規格がベータだったため誰も見なかった。
そしてついに、貞子の怨念は新たなメディアへと侵食しはじめる……!」
新たな怨霊・横山秀吉役に藤井隆を起用。 3代目貞子(鈴木その子)との2大怨霊バトルが繰り広げられる!早くも全米No1大ヒット!!
『リング2000 〜貞子 in DVD〜』 今夏公開予定!!
さて、おまちかね『高2→将軍』体験版だが、ストーリーについては製品版(すでに予約済み)が出てからゆっくりと某書で語るとして、今日はさわりの部分などをちょっと。
開始直後に、お約束として友人役の少年が出てくるのだが、最初っからかなりの飛ばしっぷり。
「お前、まだ部活に入っていないよな。
何か入らないのか?」⇒選択肢「そういうのは興味がないんだ。」を選択
「そうか。
俺は美術部にしたんだ。
お前もよかったら入らないか?」⇒選択肢「やだよ、絶対!」を選択
「一度、見に来たらどうだい。
じゃあな。」
……人の話を聞けよ!!
あと、技術面で驚いた点が一つ。普通、この手のゲームは、背景画像の上にキャラの絵を重ね合わせて表示する。
ちょっとゲームに詳しい人なら誰でも知っているような基本中の基本だ。
しかしこの『高2→将軍』はなんと、キャラ+背景をすべて一枚絵として用意しているのである!
確かに、そうそう頻繁に場面やキャラが切り替わらないのであれば、背景と人物を別々に読み込むより速いだろうし、重ね合わせた継ぎ目の部分を気にする必要も無い。常識の逆を行く、あまりにも斬新すぎる発想である。効果のほどはどうあれ、普通はできない考え方だ。
そして戦国編。「主人公がタイプスリップした直後から物語は始まります」(原文ママ)
この戦国編の画面を見た知人はひとこと。
「これ、サウンドノベルツクールで作ったんじゃないの?」
なお、戦国編で注目すべきシステムにTIPS画面というものがある。「戦国時代の用語などがわからない時のために」、文中の用語にターゲットを合わせると説明文が表示されるのだが、その対象と内容と言うのが……。
【街の汚れた空気】都市の空気は、自動車の排気ガスなどで想像以上に汚れています。
幹線道路のそばにお住まいの方は洗濯物は家の中に干したほうがいいかも。【安物のスニーカー】
ソールの部分が弱いので、歩いているとすぐに削れてしまいます。
水が染み込んでくるので雨の日に履くのはやめましょう。【濡れねずみ】
服を着たままびしょぬれになること。
ハムスターが濡れると毛が全部寝てしまって、なかなか可愛かったりします。
ドブネズミは……。
いや、戦国時代ぜんぜん関係無いし。
【電話】知っとるわ!!音声を電気信号に変換して送信し、受信側で音声として再生する装置。
発売が楽しみです。
『真・三國無双』の何がそんなに面白いのかと言われると少し困るが、評価したいのは、「PS2の機能を生かして三国志の武将たちの乱戦を爽快に表現する」というテーマのために余計な理屈など潔く切り捨てていることで、
たとえば最初のステージ、黄巾の乱。
首領の張角はボスらしく高台の上に陣取っているが、私が吹き飛ばし攻撃を当ててみたところ、そのままガケ下に転落し、
あわてて自分も下まで追いかけてみると、どうやら彼は運の悪いことに、
味方の後続である関羽と張飛の精鋭部隊のど真ん中に落ちたようで、あのヒゲ豪傑の二人と数十人の雑兵に鬼のようにフクロ叩きにされていた。
その光景を見たとき、心の中で購入を決意した次第。
えっと、あと『東京魔人学園・符呪封録』だっけ。とりあえず正しい「呪」の出し方がいまだにわからず。しかし本当にソフトより先にガイドブックが出ていたのにはびっくり。
あと、絵が変わったことによる違和感は覚悟はしてたけど、さすがに顔を見ても誰だかわからないキャラがいるとヘコむなぁ。
このヴァッシュ・ザ・スタンピードみたいなのがもしかして雨紋? ……うーん。
(追記)
今日の発見: ネコはレーザーポインタの光を追いかけるので可愛い。
うぐぅ。 ……って何?いや、近頃そこかしこで目にするので。どうやらPCのとあるゲームに関係があるらしいが。
ま、この『Kanon』とかいうゲームのことを直接指していうわけではないけども、どうして最近はこう、誰も彼もが他人を癒したがるのか。
回復役はパーティーに1人いれば充分。
「癒し系タレント」 だとか何とか言うが、人のツラ見てまで無理に癒されたくないっての。やるならまず自分の身近な人から手助けしてあげればいいのに、マスメディアを使ってそれをやろうとするところに
「いやしの杖を装備してバーサク」みたいな痛々しさを感じてしまうのだが、どうか。
あと、最近どんどんゴーストの判別が難しくなってきているが、今回は本人。たぶんな。
『魔術師オーフェン』のPS2版がなかなか愉快な点数だった。この『オーフェン』といえば、主人公が使う魔法のネーミングが 「独創的でカッコイイ」 との評判だが、私もそう思う。
「我は放つ光の白刃!」とかね。いやー、カッコイイ。
さすが、10年前にファルコムから出たPCゲーム『ダイナソア』に登場する呪文名だけあるね。これ以外にも、「我は見る死の舞姫」「我は指す冥府の王」「我は与う暗黒の剣」「我は創る火炎の弾」「友よ我らを守れ」「我は渡す月の腕輪」とかも出てくるかもしれないが、全部ばっちり『ダイナソア』のマニュアルに表記済み。
(ちなみにゲームの世界観自体はぜんぜん違う)
まぁ、無から優れたものを作り出せる天才なんて何百年かに一人しかいないし、他作品から影響を受けるのはよくあること。しかしこの作者の場合、どうも 「これならマイナーだからバレないだろう」 と確信犯的にやっているフシがある。
それも自分なりのアレンジを加えるならまだしも、一字一句そのままもってくるのはプロとしてどうかな。
試しに晶文社刊の『幻獣辞典』などと原作を読み比べてみるといい。たぶん、私が気づいただけでもこれだから、他にも色々やってるんだろう。
この人も例のコンテスト出身だが、そのへんの話を少し。あそこに集まる応募作は約1000作前後。当然、メイン審査員が全部に目を通すことなどできるわけないので、実際は編集部員や若手新人作家などが手分けして応募作を読みあさり、この時点で8〜9割が切り捨てられる。
で、「とりあえず小説として読める」レベルのものが残りの1〜2割、その中でまあまあ面白くて使い物になる可能性があるのが多くて30作というところか。
なんでこんな話をするかと言うと、『オーフェン』の作者の秋田氏、
なんとこの審査の下読みをしていたときに、アマチュア応募者の作品から影響を受けた(=雰囲気や設定の一部をパクって、急にオーフェンの中に取り入れた)というウワサがあるんですな。
いやまぁこっちのほうはあくまでウワサにすぎないから、無闇に信じてはいけないが。
……って、こういうことを大っぴらに書くから使ってもらえないんだよな、私は。まあいいや。もう書いちゃったし。
年末に向けて期待のゲームソフトと言えば、もう何と言ってもPS2の『剣豪』をおいて他になく。『ブシドーブレード』のスタッフが放つ最新作と言えばだいたい紹介は完了するのだが、
なぜ今回は発売元がスクウェアでなく元気なのかという点については各自のご想像に任せたい。
さらに、こないだのファミ通の「今週の一本」において、羽田隆之氏が、「顔のススけたポリゴンのおさむらいさん」
「滝壷の修行で失敗すると、水面にフンドシ姿の尻を浮かせてプカプカ」
「気になる点は (気になってくれ、頼む)」
「……というシステムには緊迫感が感じられたり感じられなかったり人それぞれ」
「実力者の対戦では防御は無意味」
「ブシドー精神ってナニ?」
と、1ページをまるまる使って紹介しているわりには、どう好意的に解釈しても褒めてるようには読めないレビューを展開しておられたのも興味深い。
(個人的にはこのレビュー、特別ゲストとしてぜひバカゲー専科に載せたいぐらいだ)
それにしてもかつてブシドーブレードにあんな高い点を付けたゲーム誌とは思えず、バックボーンというものの大切さを教わったような気がする。
キャラ選択画面の写真では、イラストとまったくテイストの違うポリゴンキャラの顔(そのへんを歩いている普通のオジサンたちから無作為に取り込んだ顔にチョンマゲを付けました、という感じ)
が10人以上ズラズラと並んでおり、当然そこにはキャラの特徴を示す個性付けなどまるでなく、
「……で、どのキャラを選べばいいんだよ」
と、むしろプレイヤーのほうが尋ね返したくなるようなインタラクティブ設計。
しかしそれも当然。 このゲームの価値観は 「ブシドー」 ただ一つなのであり、
各キャラクターの性能も 「ブシドー」 ただ一点に集約されているため、キャラがかぶって当たり前なのだ。
前2作の評判にもまるでめげず、ひたすら己の方向性を曲げようとしないその姿勢は、ある意味でカッコイイとすら思う。それにしても、同日発売する某有名版権物ボクシングゲームと見比べれば技術力は格段に上なのに、何がここまで彼らを 「ブシドー」 に駆り立てるのだろうか。
今の世の中で、いったい誰がそこまで “リアルでシビアな斬り合いの世界” に興味を持つというのだろう。
>「以前から 私達が 興味を持っていた、純粋な日本の格闘を今回 『剣豪』 で実現する事ができました。」
……アンタらかい!自分が興味を持っているから、他の人達にとっても面白いだろうというジャイアンリサイタルぶりも、ここまで来るとただ純粋に感服するしかない。
監修:藤岡弘とか、またいらんことをしてさらに香ばしくなった 「ブシドー」 に期待!
どうかお元気で。
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